rhの読書録

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「あの日」からぼくが考えている「正しさ」について/高橋源一郎

「あの日」からぼくが考えている「正しさ」について

「あの日」からぼくが考えている「正しさ」について


 3月11日の東日本大震災発生以降、小説家・高橋源一郎Twitterでつぶやいたこと、および各種メディアに発表した小説・エッセイ等(長いものは冒頭部分のみ)をまとめた一冊。
 この本の一番の読みどころは、高橋源一郎Twitter上で行なっている「小説ラジオ」の部分だろう。小説ラジオとは、本人の言葉を借りれば「0時からの、テーマを一つ決めての、連投ツイート」だそうだ。ただの小説と違うのは、あらかじめ決めたテーマ以外、完全にリアルタイムで考えながら文章を書いているという点。
 もし小説ラジオの部分のみを読みたければ、togetterというTwitterまとめサイトで検索すれば読むことが出来る。同じ内容のまとめが複数作られているので、若干検索性が悪いけど。
「高橋源一郎」のまとめ - Togetter
 小説に関しては当然単行本が出ているため、それを買えば全文読める。エッセイも、この本にしか収録されないものがどの程度なのかはわからない。お得感、という点から見ればちょっと中途半端な気がする。まぁこういう真面目な本にお得感を求める人はいないか。
 この本は、高橋源一郎個人の作品をアーカイブ化してまとめることよりも、「あの日」から2011年末までの彼の発言を追った、ドキュメンタリーとしての役割を優先している、と考えればいい。

 ところで、「正しさ」とは一体なんなのだろう。人間が正しく生きたいと考えるのは、ある意味当然の心理だ。しかし高橋さんはそんな「正しさ」に疑義を差し挟む。
 例えば、原発推進派と反原発派。彼らはいずれも己の「正しさ」を争っている。その結果、原発派か脱原発派、どちらかの立場を取らなければならないかのような雰囲気が醸成されている。まるでそのどちらかの意見しかこの世に存在してはいけないかのような。
 原発派と反原発派、果たしてどちらかが正しく、どちらかが間違っているのだろうか?政治的な事柄にはノータッチをポリシーとしている僕にはさっぱりわからない問題である。しかし、持論の正しさを証明することに固執するのはあまり健全ではないんじゃないか、という気はする。僕がディベートというもの全般になんとなく薄気味悪さを感じるのも同様の理由だと思う。

 と、僕も少々正しさについて考えてみたが、しかしこんなのとは比べ物にならないほど高橋源一郎の考察は深く鋭い。個人的にはこの本を是非あらゆる人に、出来れば小中学生くらいに読んで欲しいと思う。
関連:作家・高橋源一郎さん「午前0時の小説ラジオ」・「あの日」からぼくが考えてきた「正しさ」について - Togetter