勉強をしたいな、という風潮が自分の中で高まっている。全然関係ないけど昔ネットミームで「大仏建立の機運が高まっている」っていうのが流行ったなぁ。本当に関係ない。
大人になると勉強したくなる、という現象が「あるある」になったのはいつの時代からなのだろう。あるいは人類の起源からあるあるなのかもしれない。
そんな自分が頼ったのが『独学大全』。以前読んだ『ライティングの哲学』の著者の一人である読書猿氏が「主著」として自ら位置づけている本。
まず分厚い。一般サイズの国語辞典より分厚い。752ページの本文に、34ページの索引付き。
その膨大なコンテンツには「独学」にまつわる(おそらく著者が持てる限りの)あらゆるノウハウが、55の技法として詰め込まれている。
単なる「勉強法」ではないし、「毎日1ページでもやれ」みたいな精神論でもない。いや、それらも含んではいるが、もっと広範囲、かつ学問的に裏打ちされた内容となっている。独学についての本だけあり(おそらく)著者が独学によって得た知の足場の上に立っている。
独学とは一人で勉強することであり、学校や教師、コーチなどに頼らずに何かを学ぶこと。なので読書会なども独学に含まれる。
勉強というと多くの人は受験や資格のためにするものイメージするだろう。本書における勉強もそれらを含んでいるが、もっと広い意味で「知を身につけること」が本書における勉強や学びが意味するところである。
独学はいつでもどこでも始められる。学びを強制する人はいない。しかし学びを支援してくれる人もいない。やめるのも自由。そして再開するのもまた自由。それが本書における独学の精神でありテーマである。
まず第1部で紹介される第1の技法は「学びの動機づけマップ」。
なぜ自分は学びたいのか? その動機を、自分の過去の記憶を思い出しながら、マインドマップの形で記録しろ、というもの。この時点で多くの勉強法の本とは目のつけどころが違うことがわかる。
勉強法といえば多くの人が「どうやって独学するのか?」というハウツーを期待するだろう。しかし本書はそれよりも手前の「なぜ独学するのか?」というステップまでをカバーしているのである。
しかもただ「自分の動機を思い出せ」などとと抽象的なことを言うのでなく「一定の方法に則って書き記せ」と説く。
そしてその動機の具体的な内容については、例えば「子どもの頃のことを思い出せ」などと著者の思想に基づいた限定的なことを言うのではなく、ゼロから自分で考えることが推奨される。これもまた自由という独学の精神に則っている。
その後は、学習の計画を立てる方法や、なかなか手が出ない勉強に着手する方法、時間配分の仕方(有名なポモドーロ・テクニックなど)を紹介。
第2部では学ぶための図書館やインターネットを利用した情報収集の方法を紹介。第3部に入ってようやく具体的な勉強法として読書術や記憶術について詳説。そして第4部では国語、英語、数学の学習の流れを物語形式を交えながら実践的に描いている。
全ての技法の紹介に歴史的裏打ちや学術的引用が付随していて説得力がある。全部の技法を詳しく読んでいると流石に時間がかかりすぎるので、特に後半のものはサラッと読むに留めた(本書の技法で言えば「掬読(きくどく)」した)が、それでも勉強に有用な知見を得られたと感じる。実際に有用かどうかはこれから自分が勉強する上でわかってくることだろうけども。
本書を読んで最初に思ったのは「なんで著者はこんなに自分を痛めつけてまで学ぶのだろう」だった。『ライティングの哲学』を読んだときから感じていた。
と、同時に「すごくよくわかる」と思う自分もいた。
誰だって、できることなら「知らない人」よりも「知っている人」でありたいと思うだろう。そこで著者は前者を選んだ。
あるいは無知であることで恥をかきたくない、賢人となって他人を見返したい、という動機もあるだろう。著者もそれは隠そうとしていない。
人類がその歴史の中で生み出してきた膨大な量の知。それに少しでも多く触れるためには、どんなに時間があっても足りはしない。
だから1秒でも無駄にはできない。馬車馬のように走り続けなければならない。
学ぶことはひたすらに地道な作業だ。ひとつずつの事柄を順番に頭に入れていくしかない。先述の『ライティングの哲学』の著者の一人である千葉雅也氏はこうツイートしている。
「学び」とか、甘いと思うのよね。大人になっても勉強だし、それはシャープペンを持って手が黒く汚れるまで書いて練習して覚えることです。それ以外にない。
— 千葉雅也 Masaya Chiba (@masayachiba) 2023年11月2日
翻って自分はというと、このブログを読んでいただけばわかる通り、読みたい本を適当に読み、特に資料なども用意せず感想を書き散らしてきた。それ以外の「勉強」は学生以来まともにやっていない。
最近になって「哲学の入門書の内容を手書きのノートにまとめる」という勉強をやり始めた。そのこともあって本書をひもといたわけだが、その勉強も日々の色々に押し流されてなかなか進まない。
そんな自分が本書の感想を書くことじたいおこがましいと感じる。
無知は恥。賢い人は偉い。そしてこの「おこがましい」という感覚。要するに、知は知であると同時に、権威でもある。
なぜ知が権威かといえば、知には現実改変力があるから。いや決してスピリチュアル的な話ではなく、実際的に人や物を動かす力が知にはある。会社を回すにも、建物を建てるにも、知は欠かすことができない。
だからこそ、ある種の人は自分が持てない知を恐れる。「インテリぶって偉そうにするな」と怒る人がいるのは、必死の防衛本能なのである。独裁者が本を焼くのも、本質は刀狩りと同じだ。
本当に知が望ましいものであるなら、もっと国を挙げて勉学を推奨しても良いはずだ。なのにそうなっていないのはなぜか。勉強なんてしても世の中の役に立たない、金儲けにならない、と言う人がいるのはなぜか。
確かに力は単に力であって、常に役立つとは限らない。然るべきときに然るべき場所にあって初めて役に立つ。むしろ社会を破壊してしまうかもしれない。金儲けの前提である経済そのものをぶっ壊してしまう。知にはそんな力もある。
その力を恐れているのかもしれない。為政者か、あるいは人々の無意識が。
その意味で独学とは、個人が独力でパワーアップする方法だと言える。そして本書は知を得るための知、力を得るための力の結晶だ。
力を得るためには代償を支払わなければいけない、というのは古今の物語が語るところ。知を得るためには、一分一秒という時間も知に捧げなければならない。
自分のようにその覚悟が持てずにいる人間でも、知的活動を始めるのであれば、まずどこからかなにかを始めなければいけない。
始めなければ始まらない。トートロジーではあるが、何かを始めることができずにいる人間にとっては痛切な事実。
本書はその始まりのきっかけのひとつとして最良の本であるように思う。
などとまた思いつきでいろんなことを書いてしまった。
もっといっぱい勉強して知識に裏打ちされた文章を書けるようになりたいなぁ。
そんな人には本書『独学大全』がオススメ。