村上春樹全作品 1990~2000 第7巻 約束された場所で 村上春樹、河合隼雄に会いにいく
- 作者: 村上春樹
- 出版社/メーカー: 講談社
- 発売日: 2003/11/20
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村上春樹による、オウム真理教の信者、および元信者に対するインタビュー集。村上春樹はこれ以前に、地下鉄サリン事件の被害者に対するインタビュー集『アンダーグラウンド』を発表している。
村上春樹全作品 1990~2000 第6巻 アンダーグラウンド
- 作者: 村上春樹
- 出版社/メーカー: 講談社
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オウム真理教の信者に共通しているのは、彼らが若い頃から現実や社会に対する疑問を持っていたということだと村上春樹自身が語っている。もちろん、彼らの全てがそうであったかどうかは、限られたインタビューだけでわからない。しかしそもそも新興宗教にハマるような若者には、多かれ少なかれ社会不適合の傾向があるということは、今日では一般的な認識ではないだろうか。
オウムの問題は、そんな若者達が麻原という巨大でジャンクな物語に取り込まれ、暴走してしまったことにある。確かに麻原は特殊な狂気を持った特殊な人間だったかもしれない。しかし彼を祭り上げたのは、社会的に見て「ごく普通の善良で純粋な若者」であったことも、ある面においては事実である。
だからこそ社会の側に、彼らがオウムのようなものにこぼれ落ちないための受け皿を用意できなかったことに対する責任が問われるのだ。
というのが事件後の、村上春樹を始めとするわりと常識的な(もちろんこれは僕が思う常識だけれど)人々の意見だったと思う。
では、事件から16年経って、社会は変わっただろうか。
全く変わっていないような気もする。社会は依然として若者に「学校に通って会社に就職して一生働く」という意外の人生のモデルを提供し得ていない。その過程でこぼれ落ちたものは即ジ・エンド。もちろん実際には、一回こぼれ落ちただけで全てが終わってしまうわけではない。人生とはそんなにシビアなものではない。多分。
しかし、なぜかこぼれ落ちたあとの道については徹底的に隠蔽されている。あるいは集団的・無意識的に抑圧されていると言ってもいいかもしれない。そして当の若者自身が「一度落ちこぼれたらオシマイだ」という意識を強く持っている。
そのような議論は本田由紀氏や湯浅誠氏の著作に詳しい。
- 作者: 本田由紀,内藤朝雄,後藤和智
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しかし、楽観的に見れば、彼女ら・彼らを始めとした弱者救済のムーブメントが始まっていると考えることも出来る。あれから社会は少しずつ変わってきているという見方も出来なくはない。
何を書けばいいのかわからなくなってしまった。
村上春樹は、少なくとも最近の村上春樹は「学校に通って会社に就職して一生働く」というようなあり方に対して、ある程度の好意を露わにしている。もちろんそれが多くの問題点を抱えていることも認めているが、少なくとも「結局のところ、そこに戻っていくしかない」というようなことを書いていたはずだ。
確かに現在の社会システムは、上に書いたような問題点をはらんでいる。しかし「大体において」は上手く機能していると言っていいのではないだろうか。今のところ恐慌も暴動も起きていない。自殺者が多いことは大いに問題ではあるが。
だとしたら、我々に必要なのはシステムの総取っ替えではなく、部品を替えたりつぎはぎをしたりして、現在のシステムでなんとか上手くやりくりしていくことではないかと思う。村上春樹が言いたいのはそういうことではないだろうか。僕も大体においてそう思う。
しかし、弱いものたちの苦しみは確かにそこにある。いつの世も、弱いものたちが傷ついていく。オウムの被害者であったり、現代の若者であったり。
果たして今、弱いものたちはどこにいるのだろうか。今日もどこかで傷ついているのではないか。そんなことを考えずにはいられない。ちょっとセンチメンタルすぎる気はするけれども。