rhの読書録

読んだ本の感想など

どんどん沈む日本をそれでも愛せますか?/高橋源一郎・内田樹


おっさん三人が政治についてダベってるだけ。しかしそれが読む人によってはスゴく面白い。何故だ。何故なんだ。そんな本。
内田樹(以下敬称略)、という人は、どうも学会や批評のメインストリームからは外れた人物であると捉えられがちである(超主観)。何の流れの中にもいない僕がこういうことを言うと、「じゃあお前のいうメインストリームって具体的にどこなの?」という話になってしまうが、あくまでイメージ、印象のことを僕は言っている。別の言葉で言えば、異端。あくまでも、イメージ。
なぜそんなイメージがあるかといえば、普通のエライ人が空気を読んで言わないことをわりと言ってしまうからだろう。「ふつう」の学者は、例え仮説であっても、「沖縄に核がある」というようなことを言ったりはしない。なぜか。そーゆーデリケートな話題を確かな裏付けなしに言ってしまうと、どこからともなくやってきた自称事情通の専門家たちの、待ってましたと言わんばかりの批判を受けてしまうから。
しかし内田樹は言う。なぜか。それは、本当に心の底からそう思っていてそれを言うことが天下国家のために必要不可欠だから、というよりも、みんなが「それはないだろ」と無意識に抑圧してしまうような仮説を一旦取り出して吟味してみること自体に意味がある、という考えからなのではないか。そんな風に擁護的な解釈をしてしまうのは、僕が結構なウチダ本好きだからであって、全然的外れな気もする。
対する高橋源一郎も、負けず劣らずのスゴイ人である。近作が「恋する原発」である。タイトルがヤバイ。コンセプトがヤバイ。まぁ内容はそんなにヤバくないというか、むしろ真っ当な感じすらある。で「ふつう」はこの時期に原発とAVを絡めた小説を書こうとは思わないだろう。
恋する原発

恋する原発


高橋源一郎の異端なトコロは、そのように現実の出来事や文化をドカッと作中に持ってきてしまうところにある、らしい。全作読んでいるわけではないので。僕が読んだことがある「悪と戦う」では、高橋源一郎の実子二人が登場人物のモデルになっている。
「悪」と戦う

「悪」と戦う


もちろんただ現実を持ってくるだけでは小説にはならず、そこに一捻りも二捻りも加えてくるわけだが、その捻り方もまた異端。下品、下劣、低俗。そういったものをこそ高橋源一郎は見逃さず掬い上げる。救い上げる。救済と言うよりは救助。読者はそこにシビれる、憧れる。
で、その二人の対談。インタビュアーは渋谷陽一。そら面白いっちゅうねん。
ただ、僕のように政治に無関心な、昔の言葉で言えばノンポリな人間は、手放しに、純粋に楽しむことが出来ると思うけれど、そうでない人にとっては「え?」とか「いやいやいや!」と思ってしまう部分が結構あるような気がする。また、「年寄りが国をダメにしている」というような、いわゆる老害論の信奉者にとっては、まずこの対談のメンツを見ただけでも吐き気をもよおしてしまう恐れがあるだろう。そういう人にこそ読んで欲しいと思うけど。
と、ここまで書いて、ちょっとわかった気がする。この本の正しい読み方は「おじさんっていいな」なのかもしれない。好き勝手に生きて(本人達談)好き勝手に語るおじさんたち。生きづらい世の中を生きる若者にとっては羨ましい限りである。この本を読んで反感を覚えるとしたら、そこには嫉妬が含まれているのかもしれない。
果たして「おじさんの好き放題」に政治を変え国を良くする作用があるだろうか。僕にはわからない。何しろ純粋に面白く読んでいるだけなので。何となく、あるような気はする。気がする。無責任、という人もいるかもしれないが、そこはこの本の影響ということで、ひとつ。