夏目漱石の「こころ」を再読。これで四、五回は読んでいると思うのだが、やはり面白い。なぜ面白いのだろうか。
- 作者: 夏目漱石
- 出版社/メーカー: 新潮社
- 発売日: 2004/03
- メディア: 文庫
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最初に読んだ時に、こころが僕の心にスマッシュヒットしたのは、人間の孤独を描いていたから、だと思う。誰かとわかりあえないということや、誰にも言えない秘密だとか、そういうものと真正面から向き合った作品に出会ったのは、僕にとってはおそらくこの小説が初めてだった。
当たり前のことだが、学校や教育が孤独について何かを教えてくれることはあまりない。ヤツラのスローガンは「みんななかよく」といった程度の、人畜無害で内容空疎なものだ。
と、いっぱしに教育批判のようなことを書いてみたものの、現実問題として、学校というものを運営していくためにそのような穏当な同調が必要となのも確かである。行き過ぎた同調圧力が構造的な排除を生んでいるとしても、それは一般社会にも変わらず存在する問題だ。
話が逸れた。
簡単に言えば、高校を出た頃の僕は、孤独を抱えていて、その孤独を分け合うべき人も居なかった。ふたーりのーおお、こどーくをーわけーあう、ことーがでーきたーのかい?である。何が「である」なのかはわからないがそういうことである。
そんな時に、夏目漱石や、太宰治や、村上春樹のような、人間の孤独について書かれた小説を読んで、孤独を分け合うことが出来たのである。ありふれた話ではある。
しかし実際のところ、その頃の僕が物理的に本当の意味で天外孤独だったわけではない。家族もいたし、友人も一応いた。
漱石の小説については、「日本に輸入されてきた近代的自我によって起こる(であろう)ことを描いた」なんてことをよく言うが、それは要するに、人間それぞれが自分の利益のみを求めて生きることによって生じるぶつかりあいによって孤独が生じますよ、というような話だと思われ、あるいは僕が抱えていた孤独も、もしかしたらそういった類のものだったのかもしれない。
それはそれとして。
今回こころを読んで痛感したのは、嫉妬、という問題についてである。
Kが自殺したのは、大雑把に言えば先生の嫉妬が原因となっている。そのへん、さらっと書かれているので気づきにくいかもしれないが、実は先生は結構エグいことをやってKを追い込んでいるのである。
嫉妬というものの恐ろしいところは、どんなに清廉潔白な人間でも、隣のヤツが自分よりウマそうなものを食っていたら自分も食べたい、と思ってしまうという点にある。
しかし一方で、人間には己が清廉潔白だと思い込みたい、という欲求もある。その結果、「嫉妬に駆られて行動しているにもかかわらず、自分自身では嫉妬していることに全然気づかない」みたいなことが起こりうる。
久しぶりにこころを読んだ僕は、「あの時の自分のあの行動は、実は嫉妬が原因だったんじゃないか…?」というようなことに思いを致して、少々ぞっとしたりした。
みなさんも、嫉妬にかられて他人や自分を傷つける前に、こころを読んで嫉妬について勉強してみてはいかがだろうか。ま、読んでもダメかもしれないけども。