アメリカのバンド、ビーチボーイズが1966年に発表したアルバム『ペット・サウンズ』はロック史に残る名盤とされている。音楽雑誌が行う「ロックの名盤ベスト100」的な企画では、ほぼ確実にトップ10に入ってくる。ビートルズの『サージェント・ペパーズ~』と並んで。
その制作をプロデューサーとして手掛けたブライアン・ウィルソン。彼の来歴を追いつつ、名盤制作の経緯を解き明かしていくのが本書。
原書は「一冊丸々使ってアルバム1枚を紹介する本」というコンセプトで出版されている「33 1/3」というシリーズの中の一冊とのこと。なお日本のアルバムを紹介したシリーズもあり、初音ミクやカウボーイビバップのサントラ、ユーミンなどが取り上げられているらしい。
ペット・サウンズ収録曲、およびその前後に発表された曲を、コードやメロディの進行、楽器の使い方といった観点から、1曲ずつ読み解いていくというスタイルをとっている。楽曲を聴きながら読むと理解度が10倍くらいに跳ね上がる。サブスク時代の現代にこそピッタリな本、かもしれない。
著者ジム・フジーリは探偵小説などを書いてきた小説家。幸せな少年時代の終わりに「ペット・サウンズ」と出会った。サーフィンや、ディズニーランドがある、光り輝くカリフォルニアから、その音楽はやってきた。
自分は学生時代、レッド・ホット・チリ・ペッパーズを聴いてロックに目覚め、ビートルズやレッド・ツェッペリンなど60年代ロックも聞くようになった。というか家にCDが揃っていたのでそれを聴いていた。
でもビーチボーイズのアルバムは一枚も無かった。し、買って聞こうとも特に思わなかった。
当時の自分にとってロックとは、ギターがジャカジャカ、ベースがブンブン、ドラムがドカドカいうもの、もしくはDevoみたいなテクノ、くらいの認識だった。とにかくギラギラしたもの。それがロックだった
ビーチボーイズに対しては、フニャフニャしたコーラスを歌う、昔のグループ、というイメージしか無かった。サーフィンや夏を歌うサーフサウンドのイメージ、すら無かった。
それからしばらくして(ちょうど本書が出版された頃と思われる)自分にビーチボーイズを自分に「届けて」くれたのが、本書の訳者でもある村上春樹だった。
『村上ソングズ』収録の『God Only Knows』の訳詞を読んで衝撃を受けた。なんて切ない歌詞なのか、と。
一見すると、恋人への呼びかけのような体裁を取ってはいる。しかし全然ポジティブなことを言っていない。
一番の歌詞は「ネガティブなことを否定する」という話型をとっているが、その裏で、ネガティブなことの到来を予感しているのが、ありありと伝わってくる。
そして二番の歌詞は、もう「君がいない世界の僕」のことだけで埋め尽くされている。
そんな痛切な歌詞が、まるで天に登るようなハーモニーで歌い上げられ、きらびやかな楽器群によって彩られる。
そうして『God Only Knows』は速攻で自分の好きな曲のトップクラスに躍り出たのだった。
ビーチボーイズの歴史を辿ると、伝説のアルバムを作った天才で純粋なブライアン・ウィルソンという物語をつい作ってしまいそうになる。本書からもそれは感じる。音楽面に関しては、才能よりも努力を強調してはいるものの。
若さゆえの純粋さ。誰かを純粋に見つめるある若者の視線。その壊れやすさと美しさ。時に傲慢さ。それらが簡潔で端的なことばに詰め込まれた歌詞。その世界に引き込まれそうになる。
そんな作品世界をなぞるように、ブライアンはペット・サウンズを作った後どんどんダメな感じになっていく。その様は、たとえば隠遁生活で生涯を終えたJ.D.サリンジャーを思い起こさせる。そのピュアさに満ちた作風と合わせて。
しかしその後ブライアンは復調。旺盛な音楽活動を行い現在も80歳で存命である。
そのことがペット・サウンズというアルバムの意義を一層高めているように思われる。自伝映画なんかも公開されているらしい。ピアノのみで自作を演奏したアルバムがあり、これもまたイイ。
ブライアンの父親マリーの蛮行には、読んでいて背筋が寒くなる。虐待のみならず、自分の息子たちのライバルになるようなバンドをデビューさせたり、曲の権利を勝手に売り払ったり。
しかしウィルソン家が音楽一家なのも、ビーチボーイズがスムーズにデビューできたのもおそらく彼のおかげ。功罪あって罪が大きすぎる人物、というべきか。
メンバーのマイクも本書の中では悪役に見える。実際アメリカ本国でも相当に嫌われ者らしい。完全なはた目からビーチボーイズの経歴を見ると、ブライアンが離れた後のバンドを乗っ取ったようにも見えなくもない。
しかし彼が見た通り、ペット・サウンズがそれまでのアルバムと比べて売上が伸びなかったのも確かである。世間の評価が追いつくのには時間が必要だった。
ビートルズのポールが激賞したとされるように同業者からの評価は高く、ポップな曲もあるにはあるが、アルバム全体としてとっつきにくい感は否めない。商業的な要請に答えるのもプロデューサーとして必要なことだ。
バンドメンバーのことを顧みず、当時トップクラスに優秀なスタジオミュージシャンを集めて作りたい曲を作ったブライアンは、メンバーからすればバンドという共有財産を私的利用したように映ったのかもしれない。
たとえば後年マイクが3人のミュージシャンと共作した曲である『ココモ』などのほうが、聴けば一発でわかるほどわかりやすい。なんかイヤラシイ曲だな、とも感じるけれども。
しかし今となっては、そんな諸々があったおかげでペット・サウンズという名作が世に生み出されたわけで、その実りを享受できる我々は幸せなのだろう。BBCが制作した、豪華ミュージシャンによるGod Only Knowsのカバー(ブライアン本人も参加)なんてのも作られた。映像はちょっとゴテゴテしているがサウンドはとても美しい。
ところでペット・サウンズのペットってどういう意味なんだろ。
God Only Knowsの解説の、例えば以下のような部分。
もし我々がすべてを奪い尽くすような愛に身を委ねたなら、その先それなしに生きていくのは不可能になってしまうことだろう。なのに、それだけのリスクに見合う報償が与えられるかどうか確証はないにもかかわらず、そこに身を委ねたいと我々は切に望むのである。
これを読むと、なんだか村上春樹の諸作の解説を読んでいるようでもある。例えば『スプートニクの恋人』とかの。
こういう視点は男性的なものなのだろうか?あるいは、そもそも女性の世界には、男性は始めから存在しないのだろうか?
というようなことを考えたが、怖いので一旦それ以上考えないようにした。