中学生くらいの時にハマって文庫本を揃えてたけど、最近はめっきり読まなくなっていた星新一を、久しぶりに読んでみたくなって手に取った一冊。竹取物語の翻訳。
あれからX年が経ち、改めて星新一の文章を読むと、本当に文章がミニマルで、言葉が極限まで削ぎ落とされていることに驚かされる。なんというか、ちょっとハードボイルドな印象さえある。
そのタイトな文章が、情報量の少ない古典作品の翻訳に実にマッチしている。人間の機微を書かれていて読み応えがある。
そして竹取物語は何度読んでも面白い。最近だとアニメ『かぐや姫の物語』がむちゃくちゃ面白かったが、原作の時点でやはりむちゃくちゃおもしろい。
とにかく物語としての切り口があまりにも多い。SFであり、恋物語であり、喜劇であり、ジェンダー的なものへの批評すら感じられ、和歌が織り込まれ、生と死が描かれ、ついでに本当なのかよくわからない「語源」が紹介される。
なにせ古い話なので、人々の行動が現代の感覚とはズレていて、そこが刺激的でもある。
求婚者たちの繰り広げるドタバタは、ナンセンスギャグのようにすら見える。書き手や読み手はどこまでシリアスに受け取っていたのだろう? 笑い飛ばしていたのか、本気で共感してたのか、そこが古すぎてわからない。
蓬莱の枝の作り話と、竜の玉を探すための出港の話が、物語構造的に若干「被っている」が、現代の物語のセオリーではこの「被り」は避けるべきものとされるだろう。
しかしそれらにも、当時の人には共感できるなにかしらのリアリティがあったのだろう、と想像する。
写本されるうちに面白おかしく脚色されていっただけという可能性もあるが、それはそれで脚色した人にとってのなんらかの人情的ロジックがあったはずで。
各章ごとに「ひと息」という形で、訳者の解説が入る。星新一は結構言葉遊びが好きなんだな、という新たな発見がある。
末尾の「解説」の、竹取物語とチベット民話の類似性についてだが、現在では竹取物語が形を変えてチベットに伝わった、と見る説が有力らしい(Wikipedia情報)。