rhの読書録

読んだ本の感想など

屍者の帝国 / 伊藤計劃×円城塔

 多くのゲーマーと同じように、自分が伊藤計劃を知ったのは『メタルギアソリッド4』のノベライズからだった。

 当時『虐殺器官』『ハーモニー』は読んだ。しかし本作『屍者の帝国』は読まなかった。なぜだろう。よく覚えていないが、円城塔が難解な作風だと知って敬遠していたのかもしれない。
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 あるいは当時は(↑の感想を読んでいただければわかるように)まだ若かったので「前途有望ながら早逝した作家の遺稿を引き継ぐ」という「いい話」に反発していたのかもしれない。だとしたら愚かなことである。

 いつかは読みたいと思っていたが手を出さずにいた本作を手に取るきっかけのひとつが、佐々木敦『パラフィクションの誕生』の評論を読んだからだった。

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 実際に読み通した率直な感想としては、よくわからない小説だった。

 体感では90%くらい、よくわからなかった。

 個人的には、表現作品に対してわかるとかわからないとかいう言い方はあまり当てはまらないし、ましてそれをパーセンテージで表すことなんてできないと考えている。

 なので客観的な数字ではなく、あくまでも体感として、自分の内側に、90%くらいのわからなさが残ったな、と。

 そう感じた理由は明らかに、この小説に登場する事物に対しての知識が不足しているからだろう。

 ジョン・ワトソン。ヴァン・ヘルシング。フランケンシュタイン。フランシス・ウォルシンガム。エピローグの時点でフィクションや歴史上の固有名詞が頻出し、それが最後まで続く。

 シャーロック・ホームズは1冊しか読んだことがなく、『吸血鬼ドラキュラ』も『フランケンシュタイン』も読んだことがない、歴史の知識も高校生の時「世界史A」を取っていたきりの自分には、わからないことが多かった。

 そういった小説や歴史の知識が無くても楽しめる小説にはなっていて、表面上のストーリーを追いかけるのに支障は無いものの、史実とフィクション、SFと政治、といった要素が複雑に絡み合い、とてもユニークな世界設定を形作っているため、より深く楽しむためにはどうしてもそれらに対する知識は必須と思われる。おそらく。

 なので「伊藤計劃×円城塔」と同じくらい教養がある人は本書を十全に楽しめばいいし、そうでない人は本書をブック・ガイドに自らの教養を深められるよう努めるのが、本書の正しい処方なのだろう。


 フランケンシュタインとアレクセイのストーリー上の配置や、キリスト教における超重要シーンをSF的に再現する(再現したかに見える)、という試みは上手く「ハマっている」と感じた。気宇壮大な構想を成り立たせているのは、まさしく深い知識と確かな理解だろう。

 そもそも屍者という存在そのものが作品設定として非常に魅力的で、本作の設定を基にしたアンソロジーが好評なのも頷ける。

 多くの要素を含むため忘れがちになるが、本作は帝国主義の時代を描いたポリティカル・フィクションでもあり、各国の権謀術数に屍者というフィクション要素を絡めた展開は大いに面白く読めた。「帝国」というタイトルにはある種の風刺的な意味合いも感じる。


 ただ全体としてストーリー展開の駆動力がやや弱いようにも感じた。

 まずワトソンがなぜこれほど危険な命がけの冒険に身を投じるのかがよくわからなかった。言葉通りに英国に忠誠を誓っている人物には見えないし、知的好奇心で行動するにはあまりに無謀すぎる。

 そのためか、前半から中盤までは読むのがかなり苦しかった。

 前半の、原野をただひたすら進んでいくシーンには凄みを感じた。非人間的な世界に分け入っていく人間の機微を描くことで、読者を非人間的世界に誘い込む力技に唸らされた。

 しかし前半から中盤までの冒険活劇的なストーリー展開と、円城塔の遠回しで思弁的な文章がマッチしていないのではないか、と感じることが多かった。

 「早く続きを読みたい」という前のめりな状態になったのは420ページ(文庫版)くらいからだった。あの人物が屍者の謎を語る場面はかなりワクワクした。

 終盤でワトソンがアレクセイのネックレスの正体に気付いた理由が「勘」に見えるせいで、謎解き的なカタルシスが減っていると感じた。アレクセイの意図を解き明かすような場面が欲しかった。

 最終的に「人間は言語をインストールした(された)人間である」という話に収束してしまい、それはそれほど突飛な話ではなく、スケールダウンしてしまったように感じた。

 最大の疑問点はフライデーの存在で、元々はただ上司から貸し出されただけの屍者だし、冒険中は与えられた役割をこなしているだけの存在が、結末であれほど重大な役割になることにあまり納得感が無い。

 小説外の事情を鑑みれば存在理由はよくわかるのだけれど、どうしても後付感がある。


 というような作品理解は、最初に書いたように自分の理解不足によるものかもしれないので、全然自信は無いのだけれども。

 正直に言って自分は本作の「よい読者」ではなかったかもしれない、というのが現状の感想だけれど、今後それが変わっていく可能性は大いに感じる。