小田嶋隆の文章って面白いな、と思い、図書館で「著・小田嶋隆」の本を三冊借りてきた。その内の二冊が、『テレビ標本箱』と『テレビ救急箱』。いずれも雑誌『読売ウィークリー』に連載されていた、テレビに関するコラムをまとめたもの。
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よくもまぁこんな内容で、曲がりなりにもテレビ局との繋がりがある雑誌に連載できたものだ、と思わず関心してしまうほど、毒のあるコラムが並ぶ。しかし読後にそれほど悪い気分にはならない。おそらくどれも「悪口」ではなく「皮肉」もしくは「風刺」になっているから、ではなかろうか、というようなことを思った。
テレビというのは、本態的に下世話なものである。そのため、テレビを見続けていると、その下世話さに段々と慣れていってしまい、その下世話さの「ディティール」が見えなくなってくる。「カメダ?あぁ、またやってんのね」とか。
しかし、本来テレビというものは公共性の高いメディアだ。難しい言葉で言えば、「社会の公器」なのである。って、使い方、あってる?
もちろんそれは建前であって、実態としては金と名誉への欲望渦巻くドロドロワンダーランドみたいな空間なのかもしれない。だとしても、そのドロドロを「どぶさらえ」する人がいなければ、ドロドロが詰まって大洪水および大惨事、とはいかないまでも、ドロドロが社会に漏れ出して、世の中全体がほんの少しずつだけど確実に濁っていってしまうのではないだろうか。
その意味でこれらの本は、ドブをすくってその汚染物質を調べる水質調査の手つきにも似ている。ような気がする。
うーん、ちょっと文体が小田嶋隆に影響されてきている。ような気がする。まぁいいか。
ぶっちゃけて言うと、この二冊で取り上げられているトピックは、今読むとどれもこれも微妙に古く、あまり興味・関心を惹かれない。時事ネタってそういうもんだしね。
むしろあと十年後くらいに、注釈付きで再出版すれば新たな面白みが生まれるかもしれない。なにしろ名文だし。