- 作者: 佐藤友哉
- 出版社/メーカー: 講談社
- 発売日: 2007/06/01
- メディア: 単行本
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肉のカタマリ
灰色のダイエットコカコーラ - Wikipedia
もう全篇を通して「肉のカタマリ」。困ったときの「肉のカタマリ」。世の中みんな「肉のカタマリ」。
主人公は北海道の田舎町で鬱屈する19歳の青年。彼の目標は祖父と同じ「覇王」になること。
主人公の鬱屈っぷりは「世界の終わりの終わり」や「1000の小説とバックベアード」のそれに近い。典型的な自意識過剰。
自意識過剰なだけならいいけど、今作の主人公は特におかしい。覇王になって(祖父が「肉のカタマリ」と呼ぶ)愚民どもを支配するという、その妄想だけで行動する。そのくせ「で、覇王ってなに?」と聞かれて狼狽する始末。
この小説は、ストーリーラインだけを追うととても薄っぺらい。というと悪口を言っているようだが決してそうではない。わりと事実である。
だって、中二病的妄想を19歳まで引きずった男が、ヤクザにボコボコにされるなどした挙げ句、不治の病に侵された少女の死と我が子の出産に同時に立ち会う経験によって、大人として、「小市民」として生きていくことを決意する、というだけなのだ。本当に。
しかしあらゆる小説がそうであるように、ただストーリーラインを追うだけではわからないことというものが存在する。
この小説が他の小説と違うところはなにか。
それは「主人公が全く成長しないこと」ではないかと思う。
ストーリーとしてはジュブナイル小説的な側面もある。中学生時代のミナミ君との思い出。六歳の頃、祖父とヤクザの事務所に殴りこみに行った思い出。そして現在の、ハサミちゃん、ユカちゃんとの生活。
それらを通して、主人公は一切成長せず「覇王覇王」言ってるだけなのである。まるで成長していない…(AA略
それが証拠に、ラストで主人公は自ら「肉のカタマリ」になることを選ぶ。
「肉のカタマリ」である。
もしストレートに主人公の成熟を描くとしたら「覇王VS肉のカタマリ」という対立構造を捨てさせるようにしむけるのではないか。
結局主人公は、「肉のカタマリ」を受け入れることで「覇王」という概念を変わらず保ち続けているのではないか。
そう考えるとちょっと恐ろしい小説である。
そんな風に感じたのは、事前に福田和也の「現代人は救われ得るか」を読んでいたからかもしれない。
- 作者: 福田和也
- 出版社/メーカー: 新潮社
- 発売日: 2010/06
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この本で舞城王太郎と佐藤友哉は「成熟を拒否した作風」というように扱われている。